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金属材料の歴史と軽さ

金属材料の歴史と軽さ

2010年12月03日 記 : ITCクラブ会員 桑原 直幸

鋳物の現場技術(東京大学名誉教授 千々岩健児先生)の著作から金属の歴史について紹介します。金属の利用は自然界にある金属を発見し、始まりました。アルプスの水晶探しの話と同じです。まず、金銀銅の貴金属を利用しました。むくの形で発掘できたからです。

紀元後、鉄鋼や銑鉄が世界の人々が広く使い始めました。それ以来20世紀まで、世界は鉄の時代でもありました。そして今は21世紀、新しい各種材料が様々誕生しています。使い方は無限です。創造性こそ必要ですが、そのために歴史を知ることが役立ちます。

金属の製造技術を眺めましょう。金銀の装飾品が金属の最初の製品でした。王様や貴族の専用物であり、宗教的な行事に多く使われていたのでしょう。その後、銅の武器や農機具が誕生しました。これらは自然界に存在していた単体をそのまま製品に鍛造し、利用していました。その後、銅が熱で溶けることが発見され、銅の鋳造技術はBC 4000 年頃と言われています。メソポタミア地方で誕生し、BC 3000年頃、銅と錫と鉛の混合物である青銅が発明されました。青銅は融点の低い便利な材料として製法が確立し、世界中に広まって行きました。

青銅技術はシルクロード地方を経て、中央アジアからインドへ、そして中国へと伝来しました。中国の殷王朝時代には、精巧な青銅製品が作られました。色々な製品や彫刻が存在しています。文字はこれらの製品に刻印され、今でも台北の故宮博物館にたくさん展示されています。その後、BC 1500年頃から400年頃にかけて西ヨーロッパに伝来し、刀剣や容器や装飾品が作られました。実用的になってゆきました。日本にも中国の鏡や葬祭器具が輸入され、奈良時代の東大寺大仏など、大きな仏像が全国に多数作られました。これらの仏像は飛鳥地方のお寺に色々所蔵されています。奈良の大仏様は世界最新技術を駆使しました。青銅技術は誕生から3500年もかかり、完成域に達したわけです。

鉄も同じように、メソポタミア地方で鍛造製品として誕生しました。BC 2800年頃、アッシリアは鉄の剣で近隣諸国の軍隊を打ち破りました。この国は鉄のお陰で、地中海地方の覇権を誇りました。鉄の技術は中国へも伝来し、BC800年頃に燐の化合物を混ぜると融点の低い銑鉄が発見されました。技術は地中海地方に逆輸入され、ギリシャ時代にたくさんの巨像が作られました。その一部は今も存在しています。

それから暫く鉄の技術は停滞します。しかし、14世紀となり、世界は乱れ、戦いが世界中で続きました。銑鉄製品は大砲と砲弾として一大進歩をします。まとめますと、銅と鉄の技術が生まれたのはメソポタミアと中国でした。そして、数千年かけて世界中に広がり、兵器を目的とし技術革新し、享受したのはヨーロッパ諸国でした。今、鉄の技術は日本において完成域に近づいています。

鉄は比重7.9と重く、粘り強いのが特長です。戦艦や戦車や大砲の大鑑巨砲主義の時代、技術が飛躍的に進化しました。戦後に自動車産業が急成長し、20世紀は鉄の時代と言えるでしょう。そして今は21世紀です。今の日本を支えている自動車産業の材料は75 %近くが鉄で出来ています。日本メーカは優れた高張力鋼板を作れ、軽い車を作るのが得意です。

鉄以上に軽い材料の近代史を概観します。第二次世界大戦が航空機技術を爆発的に進化させ、アルミ合金圧延技術の進化がジェット機を普及させました。ジャンボジェットが安価な世界旅行やグローバルな物流経済を実現しました。鉄万能の時代は過ぎつつあります。車にとって重量低減は燃費効率アップにつながります。このため、車の材料技術が革新している。しかし、大衆車はコストの点と、利用者の使い方もハードであり、アルミボディーはまだ普及していませんが、間もなく大衆車に使われるかもしれません。

エコの要求は車だけではありません。今は地球温暖化やエコロジーが重視される循環型社会を目指しています。顧客は商品に軽さを求めます。業界によらず、軽くて丈夫な金属材料を開発し、商品設計に生かすことが必要です。皆さん、軽い部品の設計法を学びましょう。